「夢はかなえるためにあるんじゃない。

 夢はそれを追いかけるためにあるんだ。」

                

 

 特別インタビュー

 ~劇団横濱にゅうくりあ代表  泉谷 渉~

~~演劇活動を始めて何年になりますか

(泉谷)小学校の時の学芸会を除けば、19才の時に作った学生劇団がすべての始まりでしたね。聖光学院高校の出身ですが、高校生の頃に作っていた同人雑誌「にゅうくりあ」に結集したメンバーで活動を始めました。しかし、その後自分は産業タイムズ社という新聞社に入って記者になってしまったために、あまりの繁忙で、この初期の劇団は数年で自然解散となりました。

 

 

~~劇団横濱にゅうくりあ創立のきっかけは

(泉谷)桜木町駅近くにある日本キリスト教団紅葉坂教会に集まっていた青年会のメンバーが演劇活動をやりたいと言ったことがきっかけでした。自分も所属していた青年会の若き男女と聖光学院高校OBが中心になり、1984年9月に旗揚げ公演「五番街のサリー」を打ちました。場所は紅葉坂教会の地下ホール。この五番街というのは横浜駅西口の五番街のことです。

 

 

~~何故にヨコハマにこだわった芝居作りなのですか

(泉谷)ヨコハマという街はまさに不思議空間です。自分が生まれ育った街なのに、歩いているといつも観光客のような気分になります。このヨコハマから情報発信し、ヨコハマをテーマ、コンセプトにしますが、これが普遍的なドラマになるよういつも心がけています。

 

 

~~思い出に残る作品は

(泉谷)いっぱいありすぎて絞りきれませんが、あえて言えば4ヶ月連続ロングラン公演を打ち、10年以上経ってリバイバル公演をやった「マリア・ルーズ号の夏」が自分としては一番好きな作品です。明治の初めにまだ27才であった神奈川県知事の大江卓が、横浜港に入港したペルー船から清国の奴隷をすべて解放するというヒューマンな物語ですが、「人はすべて平等」という大江の思想は今も共感を呼ぶものです。来年は、この大江卓の物語の第二部となる「大江卓最後の日」という芝居の上演と映像作品化を考えています。

 

~~復活してからの抱負は

(泉谷)劇団横濱にゅうくりあは、24年間にわたり活動し、その後映劇にゅうくりあとしてプロダクション方式の活動を行ってきました。しかし先ごろ、古くからのメンバーと話し合い原点に回帰しようとの考えから劇団としての再結成を行いました。ヨコハマオリジナルシアターに賭ける夢は途方もなく大きいのですが、いまだ実現していません。しかし「夢はかなえるためにあるんじゃない。夢はそれを追いかけるためにあるんだ。」と思っていますので、命尽きるまで力を尽くして頑張ります。

叶わない夢、二つ。父の再会と妻の回復。

斎藤のぼるの立場に置き換えると、ハル姉ちゃんとの再会です。

父との再会は不可能です。この世にいないからです。35才で北支の戦場に散った父。

故郷の現状も知らず子供達の便りを待ち続けた2年余りでした。

昔、そんな日本が横浜があったのです。

昭和1ケタ生まれ、のぼると同い年の私にとって、もう一つ叶わない夢は、妻が認知症から回復してくれたらとの想い。

 

のぼるの生活におきかえると、ハル姉ちゃんを捜してさまよい歩く毎日でしょうか。

のぼるには追いかける夢がある。私にも求め続ける想いがある。

のぼるとハル、私と父、私と妻の夢を追いかける日々が続きます。

<銀二>

人には、忘れることのできない出会いがある。楽しい仲間、新たなビジネスパートナー、時には人生の伴侶だったり。実にさまざまだ。

いくつかは胸の中にほろ苦い想いとなって残る。一生拭い去ることはできない。

しかし、その想い出の中に自らの人生を埋没させてしまうと、生きていけない。だから、人は想い出から自らを再生させる。

そうすることで、また前を向き、新たな人生を歩いていけるのだ。

<坂下 優一>

1996年12月「横浜スタジアムの青春Part2」より参加。

元々、妹が当劇団に所属しており、「ソフトボールのピッチャーの

投げ方の振り付けに来てよ」と言われて参加して、騙されて

入団してしまった。そのため、劇団内での呼び名は「お兄ちゃん」。

一時的に劇団代表も経験させてもらった。神奈川県演劇連盟の

副理事長をやっていた時に企画した「高校生のための芝居塾」が

今なお続いているのは、とても誇りに思っている。

<いずみや ひとみ>

還暦を迎え、仕事、家事、介護の合間にできる表現活動を探していたところ、腹話術に出会えました。

40年の経験を持つ先生は友人のお姉さん。月1回の大宮での稽古も、仕事や町内会や介護でなかなか参加できず、休みながら続けています。

そんな超初心者な私に「腹話術をやって」との指令。

役中の老女も初心者だから下手でもいいと言われて、恥を覚悟で参加します。

どうなることやら( ;∀;)

<ジョニー>

横濱にゅうくりあのJohnnyです。

五木寛之の「海を見ていたジョニー」が好きでジョニーにしました。

去年、前日寝ずにそのまま北岳を登ったら登山靴のソールは剥がれるは、足はツッパルはで大変でしたが何とか遭難せずに下山することができました。

肝心の役者はというとなかなかうまく演じられず苦労しています。

「失敗はあきらめた時が失敗」役者をいまだにあきらめていないということは、失敗とは思っていないようだ。そんなこんなでよろしく。

 

<小川 あゆ>

1977年1月8日生まれ。神奈川県横浜市出身。

米国カソリック大学演劇学部卒業後、帰国。NHKアクターズゼミナール19期生卒。

その後「深町塾 」を立ち上げ、深町幸男氏に師事。

出 演作は「それからの日々」「まだそんなに老けてはいない」など。

舞台出演は、劇団SSD、ジャムジャムプレイヤーズ、「鬼切丸」など。

声優、ナレーターとしても多数出演。

字幕翻訳家としては代表作「ホワイトカラー2」。

 

<中田 文>

白湯釜士を自称。

横浜との関わり=横浜美術館市民アトリエ短期講師(藁燻し)

あざみ野アートフォーラム白湯の楽しみ短期講師(鉄鋳物砂型制作)。

市の消防団員として、ときおり地元の小中学校を訪問。

モチ、横浜市歌唄えます。

出演者としてはもちろん撮影スタッフの一員として、現場には毎回猫のようにまとわりついています。さよう、拙者猫なのでござる。にゃお~。

 

<汐風 かもめ>

私は、日頃ギター弾き語りや朗読をしています。

この度、「横浜の空の下」で出演の機会をいただき、主役のヘアメイク・衣装も担当いたします。

30~40代、さらに80代まで幅の広い年代を演じる主役の画像にご注目ください。

 

<八城 一夫>

いつもは汐風かもめの専属運転手をしておりますが、少しだけ出演させていただくことになり「横浜の空の下」に繰り広げられる人間模様の彩りの一端としてお役に立てたら幸いです。

お見逃しないように、しっかりとご覧ください。

 

<有光 友江(西川紀久子)>

1935年2月11日生まれ。三重県松阪市出身。

俳優座5期生在籍中に大映にスカウトされ銀幕デビュー。

代表作は「くちづけ」「踊子」「十代の反抗」「高校生と殺人犯」など。

その後、東洋劇場座付き女優として、東京新喜劇を立ち上げ座長を務める。

萩本欽一、東八郎らと共演。現在はパネリストや数々の講演にも参加。