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劇団 横濱にゅうくりあ   
   代表 泉谷渉

それは「いつまでも青春」「どこまでも熱風」という合言葉から始まった

1984年9月のことである。紅葉坂にあるキリスト教会の地下で、まことにまことに小さな芝居が立ち上がった。
メンバーは聖光学院の卒業生とその教会の青年会の人たちであり、演劇経験のあるものは殆どいなかった。それ故に、やりたい放題し放題の芝居を未熟をも顧みず、打ったのである。
その時にあったことはただひとつ。自分たちのアイデンティティ、つまりは存在意義の確認であった。何かを表現することで自分たちの立っているところ、そしてどこに向かって行くのかを証明するしかなかったのだ。
公演が終わり、誰いうともなく芝居はさあ、青春のやり直しだよね、という思いがあり、またこの熱情がずっとずっと続いたらいいよね、という声もあった。劇団横浜にゅうくりあの旗上げとともに合言葉ともいうべき「いつまでも青春!どこまでも熱風!」というキャッチコピーが決まった瞬間である。
そして自分たちの芝居の差別化要因として、ヨコハマをテーマ、イメージ、舞台とする「ヨコハマオリジナルシアター」という路線が固まった。
思い出の作品タイトルを少し列挙すれば、「山下町で会いましょう」「晴れた日にイソゴが見える」「ヨコハマゴールドラッシュ」「伊勢佐木町ブルース」「保土ヶ谷エクスプレス」などがあり、かなりのヒット作になった。
それにしても、38年前の教会の地下でスタートした活動は演劇66本、映画4本を展開するまでになるとは夢にも思わなかったのである。

 
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